読書で本から学ぶブログ【書評・感想】

読書日記、本の紹介。その他、考えたことを書いています

follow us in feedly

自分のアタマで考えるとは?『自分のアタマで考えよう』

自分で考えるとはどういうことか。

そんなことを、このところ考えています。

昨日は、このような本を紹介しました。

ハーバード大学も提唱する「自分の意見の作り方」3ステップ『「自分で考える力」の授業』 - 読書で本から学ぶブログ

 

今日は、こちらの『自分のアタマで考えよう』を読んでみました。

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 

 気になったところを紹介します。

 

「考える」とはインプットをアウトプットに変換すること

「考えること」「思考」とは、インプットである情報をアウトプットである結論に変換するプロセスを指します。「私は考えた」というのは、「私はあるインプットをもとに、なんらかの結論を出した。ある考えに至った。」という意味です。

インプットをもとに、ある考えに至った。

これが考えるということだそうです。

 

判断基準を絞ることで、本質が浮かび上がる

「あれもこれも」「あっちの利害もこっちの利害も!」といっていたら、なにも決まらなくなります。なにも動かなくなるのです。

判断基準を絞り込む。これも考えるということなのだろうと思います。

そして、判断基準を絞ると、動きやすくなる。絞らなければ、決められなくて動けない。動かないから成果が出にくい。

そういうことです。

 

自分独自の選択基準を見つけること

自分独自の選択基準を見つけること、それがなにであるかを考えること、それこそが、「自分の頭で考える価値のあること」なのです。

そして、自分の選択基準を見つける。

こういうことを考えるのは、自分の頭で考える価値の高いことだそうです。

たしかにそうなのだと思います。

今日の夜に夕飯を何にするかを選ぶのも「考える」ということだと思いますが、そのまえに、それ以上に、自分がどういうことをやりたいかなどを考えるほうが価値は高いのではないでしょうか。(価値は人それぞれ違うので、これも、人によって違うでしょうけれども。)

 

自分で考えて選んで動く

こんなところが気になったところです。

なぜ、私が「自分で考える」ということを考えたかったかというのが、この本を読んで、なんとなくわかってきたように思います。

 

考えていない人は、おそらく、それほどいないと思います。ただ、選択基準を自分なりに考えて決めて選んで動いているかというと、どうでしょうか。

私の場合は、このあたりのことがイマイチあいまいな感じがしています。

「迷っている」

そういう自分の状況を感じています。

だから、考えるとか選ぶとか、はどういうことなのかを知りたい、考えたいと思っているのだと思います。

 

要は、何がしたいのかが「ハッキリしない」。

ここをはっきりさせることができると、選択基準が明確になると、行動がしやすくなるのでしょう。

選択基準を明確にして、やりたいことをハッキリさせたいところです。

 

 

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 

 

Kindle Paperwhite(ニューモデル)

Kindle Paperwhite(ニューモデル)