教えるより教えてもらう態度で聞く『プロカウンセラーの聞く技術』
このところ、聞くということについて気になっています。
聞くだけ会話術。人の話を聞くことの大切さ - 読書で本から学ぶブログ
こういった本などを読んでいます。
今日は、こちらの『プロカンセラーの聞く技術』を読み返しました。
ある意味、カウンセラー向けの本なのかもしれませんが、カウンセラーの人でなくても参考になることは、いろいろとあります。
わたしが気になったところを紹介します。この本は、とくに、人によって気になるところは、 きっと違うと思います。自分で手に取ってみるとよいでしょう。
教えるより教えてもらう態度で
教えるより、教えてもらう態度がわれわれに必要なのは、「その人の心は、その人しかわからない」からです。
聞くことが大切と知っていても、人と話していると、人にアドバイスしたくなるというのはあると思います。
とくに悩んでいる人には、こうすると良いよ、とか、私はこうだった、とか。
この引用部分は、カウンセラーの人に向けての言葉だと、前後の文脈から思いますが、人と話すときに、教えてもらうという態度は大切のように思います。
よくやってしまうのは、相手が話しているところで、「それ、知っている。こういうことでしょう?」というパターンです。それで、盛り上がればよいでしょうけれど、違っているときは、面倒なことになることもあるでしょう。
こういうことをすると、話を聴いてもらえない、と感じる人もいるでしょうし、そうなってしまうと、話を聴いてもらえないから話さないというようになって、コミュニケーションがとれなくなってしまうということになりかねません。
そうならないように、教えてもらう。とくに心や感情については、その人しかわからないわけですから、教えてもらうというのが大切なのだと思いました。
評論家にならない
評論家は正論を言い、相手に対しても正しいことをするように言います。新聞の論調を見るとよくわかります。
彼らは、いつでも正しい、自分では痛みを感じず、痛みは人に押しつけるのです。だから、正しいことを言うのは評論家か傍観者になるのです。
正しいことばかりを言う人はどこか信用できないのはこのためです。なぜなら正しいことを言いつづけようとすると、自分は何もできないからです。
評論家が、こんな人ばかりではないような気もします。評論家というより、批評家のことなのではないでしょうか。
批判ばかりしている人。批判をすれば、自分は正しいという場所を得られると思っているのかもしれませんが、批判しても何も変わらないのであれば、批判には意味はないでしょう。自分のことを守るということ意外には。
だから、批判ばかりしている人の話は、それが仮に正論だとしても、誰も聞く耳を持たず、影響力がなくなってしまうのではないでしょうか。そして、もしそうなら、ただの「愚痴」と変わらないと思われても仕方がありません。
対等感
話し手は聞き手との対等感が感じられたときから、話しはじめます。話はどんどん広がり、深まります。そして、話し手が聞き手との対等感がもてなくなると話が止まります。話し手は聞き手の人間性をたしかめたくなるからです。
お互いが対等だと思ったときに、話が進み、対等だと思えないと、話が止まるということです。
たしかに、こういうことはあるのでしょう。自然に話しているときは、こういうことなのかもしれません。
ただ、思ったのは、社会的な場面で、対等というのは基本的には、あまりないような気がします。この言葉は、文脈としては、大人と子どもの会話で出てくるところなのですが、大人と子どもは人間として対等というのはわかりますが、社会的には対等というのは無理があります。
もちろん、そんなことを子どもに言ってもわからないかもしれませんから、大人がどうにかする必要があるというのはあると思います。
女性にも、こういう傾向があるようで、(もちろん男性にもありますが、女性のほうが強い)対等でないと話せない、というのは、気持ち的にはわかるのですが、それを言っていたら、仕事などは進まないような気がします。
この本は、31の項目で構成されています。
他にも、なるほどと思うところもありましたし、それはどうだろう、と思うところもありました。全体としては、聞き方について参考になることが多いです。
聞くというのは、関係性をつくる上で大切だということがわかります。
聞く、ということを考えたい人が読むと、いろいろ考えることがあると思いますので、手に取ってみてください。