嫌われる覚悟よりも、愛する勇気のほうが強い
昨日に引き続き、『嫌われる勇気』について書きたいと思います。
本書からさらに考えてみる
本書では、嫌われる勇気、覚悟が、自由だということになっています。
他人の評価から自由になるということだと思います。
たしかに、そういう面があるとは思います。
そして、他人からのマイナスの評価を気にしない、自分で自分を評価する、自分の価値をしっかり決めることができるというのは、強さにつながるところはあります。
それでも、そこからさらに進めたほうが良いのだろうと、本書を読むと、さらに考えることができるのではないかと思いました。
まず、自由から書くと、
自由というのは、「思考の自由」だと思います。
評価からの自由も、あるのですが、どう考えるかは、自分で考える、自分の自由。
だから、本書で書かれていることをそのまま受け入れなくても良いわけです。
もっと良い考え方があれば、そちらの考え方を選べばいい。
そして、嫌われることについて書くと、
だとすれば、嫌われる勇気よりも、みなに好かれる勇気があってもいい。
そんなことは無理だと決めつけるのではなくて、どうしたらそうできるのかを考える。
さらに言うと、まずは、自分が人を好きになることから始める。
周りが、みなに好かれることは無理だと言ったとしても。
嫌われても良いと思うよりも、みんなに好かれても良い、そして、みんなを好きになって良い、と考えても良いわけです。
嫌われる覚悟は、批判されたり嫌がられたりすることに対して、それも良しとするということでしょう。
相手の評価を尊重するというか、そういうこともあるということで、それも受け入れる強さだと思います。
嫌われる覚悟よりも、愛する覚悟のほうが強い
そのうえで、みんなを愛する。
自分を嫌った人も愛する。
簡単にできることではないのかもしれませんが、そういう覚悟を持っている人は、なお強いと思います。
大きいとも言えるのかもしれません。
そういう人が、好かれるのかどうかはわかりません。愛されるかどうかもわかりません。
ただ、単に嫌われる覚悟を持つよりも、愛する覚悟を持つほうが、簡単なことではないと思います。
それは、きっと勇気のいることだろうと。
もっと覚悟のいることでしょう。
愛する勇気を持つ
愛する勇気。
もし、本書を書かれていること以上に読んで、学んで、活かしていくというのであれば、そういうことを持つことが大切なのだろうと思いました。