『嫌われる勇気』を再読して、自分と対話してみる
今日は、『嫌われる勇気』を再読しました。
これまでの記事
嫌われる覚悟よりも、愛する勇気のほうが強い - 読書で本から学ぶブログ
なんとなくではありますが、時間を置いて読んでみると、違ったことを思うかなと考えて読んでみました。
軽く読んでみましたが、以前読んだときと、それほどの違いは感じませんでした。
今回も、嫌われても良いと思うことが、「自由」というのは、違うなと思いました。
自由とは何か?というのは、むずかしいところがありますが。
嫌われても良いと思うことが、自由に選択できるということになるというのは、同じなのでしょうけれども。
そして、やはり、「愛する勇気」のほうが、嫌われる勇気より、むずかしくて、大切なように思います。
嫌われたいわけではないでしょうし、愛されるのはむずかしいですが、愛されなくても、嫌われても、愛するというのは、より勇気が必要なことでしょうから。
細かいところでは、いろいろと、改めて感じるところがありましたが、それはそれとして、大きなところなのかわかりませんが、一つ書いておきたいと思います。
「嫌われる勇気」は、「嫌われても良いのだ」という開き直りではないような気がしています。
そうではなくて、嫌われることがあっても、それは受け入れる、というところなのではないかと。
自分のダメなところや、嫌なところを、人に「見せびらかす」というのではない。
そう思います。
といったことを考えたり、感じたりしました。
あと、もう一つ、本とは関係ないことを。
やはり対話は大切
やはり、対話は大切だなと。
本書は、対話形式で、展開します。
コミュニケーションを閉じない、ここができるかどうか。
好き嫌いという話になると、対話を閉じてしまいがちだから、そうならないようにしたいものだなと思いました。
といったことを、再読して、この本と自分と対話することができました。
本書の考え方に同意するしないに関わらず、本書で語られていることは、自分なりに考えておくと、見えることが変わってくると思うので、読んでみて、自分と本と対話すると良いと思います。